石川県での活動

 緊急消防援助隊として、石川県に派遣されたので、その活動について紹介していきます。

 私は、石川県の派遣も含めて5日間派遣されました。緊急消防援助隊として派遣されたのは、初めてだったので不安でしたが、無事に帰ってこれました。

 では、詳細を紹介します。

派遣の決定

 私は、発災の1月1日からある程度経過してからの派遣でした。派遣が決まったのは、派遣日のおおよそ一週間前でした。

そこから必要な道具を、先行して派遣された人に聞いたり、自分で想像したりして買いました。

 家族にも、この期間派遣されると事前に言っておきました。

派遣

1日目

 私が所属する消防本部は石川県までかなり遠いので、1日目は移動に当てられました。

サービスエリアで集合

 高速道路上サービスエリアで県大隊が集合し、それから出発しました。緊急消防援助隊は、都道府県単位で行動するので、派遣される市町村がすべて集合してから出発という流れでした。そのため、集合時間は決まっていましたが、集合場所への時刻の違いが生じ、待ち時間が発生しました。 

 また、市町村の代表者がどのルートでいくかなどを集合場所で調整し、さらに連絡手段として個人の携帯のトークアプリを共有するので、それにかなりの時間を要しました。

 それがすべて終わってやっと石川県に向けて出発しました。

バスでの移動

移動はマイクロバスでの移動でした。大型バスに比べて小さいので、少し窮屈に感じました。バスの道中は特にやることもなかったので、私は寝て過ごしました。

途中で何回かサービスエリアにより、休憩を挟みました。しかし、県大隊が同時にそこで休憩するので、トイレがかなり混雑しました。また、止まったサービスエリアで買い物ができました。移動中の食事は用意されなかったので、サービスエリアで食料を買っている人がほとんどでした。私は、持参したので、次の日の朝食だけ購入しました。

石川県に近づく途中で、地震の影響で水が流れないためサービスエリアでトイレが使用できなくなりました。トイレが使用できないというのは、高速道路の電光掲示板で知ることができました。高速道路上の電光掲示板に「次のサービスエリアがトイレを使用できる最後のサービスエリアです」と表示されまいた。私たちはその最後のサービスエリアにより、トイレを済ましました。

荷物

 移動中のことも考えてバスに持ち込む荷物と荷物搬送車に載せる大きな荷物について考えた方がよいと実感しました。

 なぜなら、石川県に向かっている途中で積雪があり、サービスエリアで雪の中を歩くことになったからです。編み上げ靴で移動していたので、雪解け水で靴の中がびしょびしょになってしまいました。大きな荷物の方には防水の靴を入れておいたのですが、移動中に必要になるとは想定外でした。

 また、荷物搬送車に載っている荷物は、私の都市の派遣された人の荷物が全て積載されているので、簡単に取り出すことができませんでした。そのため、私は歯ブラシをサービスエリアで購入しました。

車中泊

 今回の派遣で最もきつかったのは車中泊ではないかというくらい過酷でした。

 野営地には、先陣隊が宿泊しているので、後陣は車中泊でした。先ほど述べたとおり、マイクロバスがかなり窮屈で座ってねることになりました。さらに、車中泊のとき、少し座席が変わり、足が伸ばせないところで寝なければなりませんでした。結局、目を閉じてもなかなか眠れず、3時間は眠れなかったころを覚えています。

 十分な睡眠をとれず、次の日に入ることになり、動けるか心配でした。

2日目

宿営地についたら、私たちと交代する隊員が荷物をまとめて交代の準備を進めていました。

荷物整理

 私たちは移動も含めて5日間活動する予定でしたから、個人の荷物がかなりたくさんありました。まず、それを宿営地に立ててあるテントの中に運びました。すでに、どの隊がどこで寝るかが決められており、そこはスムーズに進んだと思います。

さらに、食料や水、燃料など、テントで生活する上で必要なものを所定の位置に運びました。

その後、前の派遣隊が出したゴミ等を私たちが行きに乗ってきた車に載せて、とりあえず荷物の載せ替えを終了しました。

申し送り

 荷物整理と並行して、先行した派遣隊の人から申し送りを受けました。

  • 今回の派遣でどのような活動をしたのか
  • 資機材の管理について

 ほとんど上記の内容を申し送られました。私は、救助隊として派遣されたので資機材がたくさんありました。また、緊急消防援助隊のときは、たくさんの隊が集まり、さまざまな地域の消防隊の人を活動するため、他の消防本部が使用している資機材と混ざってしまいます。そのため、そこは先行して派遣された救助隊の人を一緒に確認しました。

救助活動準備

 野営地に到着してすぐ救助現場に行くから、準備してくれと隊長から指示がありました。そのため、荷物整理と申し送りを済ませ、救助活動の準備をしました。

 服装は、救助服、カッパ(gore tex)、防火長靴、防火手袋、ヘルメットです。初めての緊急消防援助隊だったので、先輩方の服装をまねました。持ち物も自ら必要なものを考えてもっていかなければならず、活動を予想する力と素早い判断力が求められました。私は、水分、携行食、防水手袋、携帯電話、使い捨てグローブ、防水シューズ、、、など45Lのバックがパンパンになるくらいのものを準備しました。

 しかし、結局調整があり、お昼から現場に向かうことになりました。

救助現場

 私たちが向かった救助現場に向かうには、峠を越えなければならず、雪の中を狭い道を通って走行しなければなりませんでした。そのため、救助工作車ではなく、4区の普通自動車で向かいました。もともとある程度の資機材は載せ替えされてましたが、その他必要だと考えるものを積載しました。

  • 肘膝プロテクター
  • サルベージシート
  • バール
  • とび口
  • チェーンソー
  • コンパネ
  • スコップ
  • 燃料
  • 胴長
  • 画像探査機

 上記のものが積載したものです。必要最低限のものでした。

 野営地から1時間30分ほどで、救助現場に到着しました。

 土砂崩れが起こり、寺が倒壊してしまっている現場でした。その中に一人の要救助者がいるという情報でした。

 すでに他の県大隊が活動しており、私たちはその大隊の指示に従うことになりました。

 現場に到着したら、すぐに活動に入れるわけではなく、まず小隊長らが集まって活動の方針、配置等を決めてからのスタートになります。建物への侵入と安全管理を15分のローテーションで回すというものでした。

 安全管理のときは、土砂が滑り落ちてきた方を見て、土砂災害の予兆(水がでてるないか、落石がないか)がないかをチェックしていました。また、倒壊建物が再度崩落しないかを確認していました

 建物への侵入活動では、事前に指示があった箇所を床を剥ぎながら、要救助者を検索しました。倒壊した建物は、活動スペースが少なく、足場が悪いので、とても活動しずらいように感じました。また、ライトは必須の資機材であると改めて感じました。床を剥がしたり、土砂を掘り起こしたりしましたが、結局2回のローテーションで見つけることはできませんでした。

救助活動後の撤収

 救助活動が終了し、来た道を少し暗くなっている中戻りました。

 野営地に到着すると、他の都市で派遣されていた隊の人が自分たちはあまり活動していないからと救助隊の片付け等を手伝ってくれました。そして、テントに戻ると後方支援隊の人が食事を用意してくれていました。

 個人のカッパが泥で汚れていましたが、他の隊の人が洗ってくれることになり、私たちはすぐ食事をとることができました。非常に助かったのを覚えています。

食事

 食事のメニューはカレーでした。湯煎やレンジを使用して食べることができる簡易的なものでしたが、とてもおいしかったです。その後、隊の中の一人がカップラーメンをたくさん持ってきており、たくさん食べなきゃいけない雰囲気になったので、カレーを食べた後、カップラーメンを二つも食べました。いつもの食事のときよりお腹が膨れたように感じました。

野営地の生活

 ここで、派遣中に生活をしたテントの中について紹介します。

  • 寝るところは簡易ベットの上に寝袋
  • ポットがあるためお湯が使える
  • 発電機があるため電気がある
  • ソーラで充電できる発電機もある
  • ヒーターもあり、たんとの中は暖かい
  • ゴミ箱があるが、あまりかさばらないようにする
  • トイレは簡易トイレで水が流れないタイプ。袋の中に吸収剤のようなものが入っていて、毎回取り替える

 設備に関しては上記のとおりです。

 被災地は断水していたので、シャワーを浴びることはできませんでした。そのため、髪の毛はドライシャンプーで洗い、体は赤ちゃんのお尻拭きで拭きました。また、もちろん洗濯ができないため、同じ服を着回したました。

 寝袋はとても暖かったですが、夜中は発電機が騒音になり、ヒータがついてないので、朝顔がとても寒かったです。そのため、朝は帽子とネックウォーマーを着用していました。

 そして、最も大変だったのが、夜間に交代で起きて、テントの見張りをすることです。雪が降り積もるとテントが潰れてしまうので交代でテントの雪を落としました。テントの外は真っ暗でライトが必須でした。また、非常に気温が低いので最悪でした。

小隊ミーティング

 最後に、救助隊のミーティングを行いました。

 今日の活動はどうだったのか、改善できるところはなかったのか等を話し合いました。また、救助隊長が大隊のミーティング等で話された内容や次の日の予定等を隊員に申し伝えました。

このミーティングが終わると就寝でした。22時過ぎくらいでした。

3日目

 この日は、前日の夜中に雪が降ったので、救助現場にいくのは、午後からとなりました。

 野営地での生活は2日目とほぼ変わらなかったため省略します。

車両の点検

 朝起きて朝食をとったら、まず、車両のエンジンをかけて正常に動くかチェックしました。

テントの補修

 まずは、前日の雪でテントが不安定になってしまった箇所があったので、補修を行いました。テントの上にブルーシートを敷くことで雪が積もるのを防ぐのと同時に、テント内が結露するのを防ぐ効果があるそうです。

救助活動

 個人装備等を整えたら、2日目の現場と同じところに向かいました。

 前日の雪のため、地盤がかなり緩くなっていました。そのため、土砂災害による2次災害が起こらないように安全管理を徹底するよう隊長に指示されました。

 前日と同様に活動と安全管理とローテーションして行いました。活動内容は、最も埋まっている可能性が高い箇所について、瓦礫等の除去を行い、土を掘り起こすという作業をしました。土砂がかなりぬかるんでいたので、平たく圧力を分散できるものを地面に敷いて活動しました。瓦礫をバケツリレー方式で運び出し、チェーンソー等で切断しました。

 また、画像探査装置を使って、瓦礫の隙間等を検索しました。

 指定された検索場所を捜索完了したところで、この現場は重機が入らないと検索活動が難しいという判断がなされ、引き上げとなりました。

 県の大隊長が会議で重機を要請すると言っていたと隊長から聞きました。

4日目

4日目は2日目と3日目に行った救助現場とは違う救助現場に派遣されました。

救助現場

こちらも2日目と3日目と同様に土砂災害の現場でした。

9時から活動が始まり、要救助者が1人いるという情報でした。

すでに自衛隊の重機があり、消防は要救助者の発見の気配があるまで、土砂と重機付近の安全監視を行いました。3隊の救助隊が派遣されており、30分間隔でローテーションしました。かなり気温が低く、雪が降っていたのに加え、体を動かさず、安全監視を行なっていたので、体が冷えました。防寒対策として、余分に一枚薄いダウンジャケットをもってきていたのでそれをきることで多少は寒さを凌ぐことができました。

休憩中は、エンジンをかけた車内に待機して、軽食をたべました。

2回目の休憩中に、要救助者の足が見つかったとの情報が入りました。要救助者を見つけられるかもしれないとわたしの隊の士気は大きくあがりました。スコップを持って、その現場に向かいました。そして、足が見つかったと箇所周辺を掘り返しました。土砂崩れで堆積した泥や土は水分をかなり含んでて、重量がかなりありました。4分のローテーションで土砂を掘って、要救助者を捜索しましたが、かなり体力を使いました。付近5mくらいを捜索しましたが、結局体本体は見つけることができませんでした。

一旦捜索作業は終了し、自衛隊の重機が活動を始め、また安全監視の任務につきました。

そして、夕方になり、活動は終了しました。

5日目

5日目は、活動はなく、後の派遣隊と交代する日です。

2日目の朝と同じように荷物整理、申し送り等を済ませ、石川県を出発しました。

帰りも適当なサービスエリアにより、軽食を食べて自分の住む街に帰りました。

帰隊式

帰ってくると、整列し、偉い人に派遣の報告をしました。

「早く帰らしてくれ。」と切実に感じました。

まとめ

緊急消防援助隊として、石川県に派遣されたときの活動を紹介しました。

石川県に派遣されているときは、疲れはほとんど感じなかったですが、家にかえった途端かなり疲労を感じました。

断水でかなり不自由な生活でしたが、とても良い経験になったと思います。

活動に関しては、要救助者をみつけることができませんでしたが、普段は経験できない土砂災害現場、崩落している建物での救助活動を経験したことはこれからの救助に生かされると考えます。

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